はじめまして。まんなみ設計室の堀井博です。
新潟県柏崎市に自宅兼事務所を構え、住宅や店舗の設計・デザインを手掛けています。
私は大学で建築を学び、卒業後は新潟県内の建築会社で住宅や店舗の設計を行ってきました。
独立するまでの27年間で設計した物件は300件に及びます。
私は2016年の春、50歳を迎える1年前に独立し、一人で設計事務所をスタートしました。
50歳近くで独立と言うと少し遅いと思われるかもしれません。
その理由は、元々私が独立志向の考え方では無かったからです。
設計事務所を立ち上げたきっかけは、2011年3月11日に発生した東日本大震災にありました。
未曾有の大災害が起こり、宮城県や岩手県の沿岸部が津波による大きな被害を受けた後、私は建築士という職業柄、建築や都市がどのように変化したのかを調査するために被災地を回りました。
建築的な視点で見て回ったものの、その衝撃は想像していたよりもずっと大きく、何の前触れもなく起こる大災害によって、いとも簡単に当たり前の日常が奪われてしまうことの恐ろしさを実感しました。
私はその時40歳半ばで「残りの人生を後悔なく生きなければいけない」と考えるようになったのです。
それまで培ってきた建築士としての数多くの経験を最大限に発揮して住まいを計画されている方々にに貢献したい。
そのためには、独立することが最善の方法だと考えるに至りました。
私はその時40歳半ばで「残りの人生を後悔なく生きなければいけない」と考えるようになったのです。
それまで培ってきた建築士としての数多くの経験を最大限に発揮して住まいを計画されている方々にに貢献したい。
そのためには、独立することが最善の方法だと考えるに至りました。
一方「美しさ」とは感性に訴えかけるものであり、「機能」とは全く異なる価値を持っています。
私が「美しさ」にこだわっているのは、家はただ命を守るためのハコではないと考えているからです。
ふとした時に感じる美しさが散りばめられた家では、何気ない日常の時間が豊かで特別なものになると考えています。
例えば私が設計した自邸の寝室には、あえて壁や天井に照明を設けていません。
すると、寝床に就いて天井を見上げた時、漆喰塗りの天井がスタンドライトの灯りに照らされて、とても美しく視界に広がるのです。
言葉ではうまく伝えることが難しいですが、それは一日の終わりに感じるとても心地よい日課です。
そのような「仕掛け」をできるだけ多く忍ばせておきたいと考えて、設計を行っています。
もう一つ私が大切にしているのが「中庸な空間」です。
私が考える中庸な空間とは、内と外の区別が曖昧な「中間領域の場」のことを指します。
それは「土間」であったり、「中庭」であったりします。
私の自邸には大きな通り土間を設けていますが、そこは家の中でありながら外のような開放感が得られる場所です。
雪に覆われた長い冬がある新潟では、家の中に籠りがちになりますが、土間のような中庸な空間があると、窮屈さを感じることなく過ごせます。
植物を置くにも都合がよく、家の中に居ながら緑をそばに感じて心豊かに暮らすこともできます。
中庭も同様に、外の空間をまるで家の内部空間のように取り込むことができます。
家の中から中庭越しに別の部屋を望むと、内と外の境界が一層曖昧になり、自然との一体感を愉しむことができます。
最近は合理的な考え方を好む人が増えていますが、それは住宅にも現れています。
極力無駄な空間をつくらずに建築費を抑えるというのは、とても合理的な考え方だと思います。
しかし、一見非合理的に見える「中庸な空間」には、効率や機能といった観点では説明できない魅力が含まれています。
目的が曖昧な空間だからこそ、意図していなかった新たな使い方や過ごし方が自然に生まれ、私や住まい手の想像を超えた体験がつくり出されるのです。
それは、子供達の自由な創造力を引き出すことや、大人が新しいライフワークを実践すること、友人たちと体験をシェアすることなどに繋がり、その多様な活動が人生を豊かにし、人を一生成長させてくれる「仕掛け」であると考えています。
逆に「家に必要な機能はコレとコレ・・・」と制限する考え方でつくられた家からは、新しいものが生まれにくいと思っています。
住まい手の想像をも超越したライフスタイルを生み出す「中庸な空間をプラスした住まい」を提案し、お客様と共につくり上げます。
感性をくすぐる「美しさ」と、住まい手の創造力を育む「中庸な空間」。
この2つを丁寧に紡ぎながら、ただ命を守るためのハコではない「住まい」を、
まんなみ設計室は、つくっていきたいと思います。